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大山綱昌 (官僚) : ウィキペディア日本語版
大山綱昌 (官僚)[おおやま つなまさ]

大山 綱昌(おおやま つなまさ、1853年12月24日(嘉永6年11月24日) - 1934年昭和9年)10月18日〔『山梨百科事典』増補改訂版、152頁。〕)は、日本の官僚政治家警察官陸軍軍人貴族院議員錦鶏間祗候。4知事を務めた。幼名・勘助〔。
== 経歴 ==
薩摩国鹿児島郡鹿児島近在西田村〔(現鹿児島県鹿児島市)で、鹿児島藩士、大山探賢の長男として生まれる。1875年(明治8年)、警視庁13等出仕となる。1877年(明治10年)、陸軍中尉に任官し西南戦争に出征。階級は陸軍憲兵大尉まで昇り、一等警視補に転じた。次いで、農商務省に移り、権少書記官、書記官、参事官、工務局次長、商工局次長、権大書記官を歴任。
1896年(明治29年)8月、佐賀県知事に抜擢された。1903年(明治36年)2月、山梨県知事に異動。1905年(明治38年)9月、長野県知事1911年(明治44年)7月、岡山県知事を歴任。1914年(大正3年)4月7日、錦鶏間祗候に任じられた〔『官報』第505号、大正3年4月8日。〕。1919年(大正8年)1月、貴族院議員に勅撰され、交友倶楽部に属して活動し、死去するまで貴族院議員を務めた〔『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』107頁。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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